自転車利用阻止条例
他所に気を取られ、半年以上遅れをとってしまいました。
県議選の対応を誤りました。
愛知に対抗して、かは解りませんがクルマ(来る魔)立県へ突き進むとしか説明のしようが無い静岡県が4月より施行した静岡県自転車の安全で適正な利用の促進に関する条例を受け、この10月より自転車保険加入及び児童・中学生の自転車通学時のヘルメット装着が義務化されました。前者に罰則は無く契約を急ぐ必要はありませんが、安心を騙って保険屋を儲けさせる「壁の無い民営刑務所」みたいなもの。後者は現行の道交法で「努力」義務とされて子供限定である点に注目。「自転車は煩わしい→早くクルマ(来る魔)に乗りたい」仕向けるためから久しく、もとより学校と保安用具屋は昔から癒着していますので「なぞっただけじゃん」思われるかもしれませんがこちらは強制力が加わる点に注意、いずれにせよコストを強いることで自転車に跨るのを躊躇わせるのが眼目持ってるだけでカネせびってくるのはイヌアッチイケーに限ったことではない。
自転車など単なる口実、要はヤクザ行為なんですよ。
道路はクルマ(来る魔)でもう飽和状態。庶民、就中若者からのお金離れは進む一方指導者層の自世代中心主義がもたらした災厄、加えて人口減少、即ち昭和の昔をクルマ(来る魔)と共に突っ走った人達も齢をとり、或いは鬼籍に入り出した…方法・手段としてのクルマ(来る魔)はこれからも間違いなく続き、残っていくとは言え、少なくとも日本において時代がクルマ(来る魔)から遠ざかり出した、これは不可逆的構造変容ムーヴメントは世代と共に去っていくのヨであり、クルマ(来る魔)業界、或いはそこに蛭の如く寄生する輩は無条件に認めねばなりません。が、そんな筈ァありませんよネ。
何度でも書いてやる。
クルマをより効率よく転がすためにそれ以外の全てを犠牲にする、これを世間一般には「交通安全」と言います。電動化だの自動運転だのは言うなれば共同幻想、クルマ(来る魔)がそのデカさとチカラで人や自転車を押し退けて突き進むは昔も今も、そして多分未来も同じ。その効率化とあらば先ずそれ以外を「無いものとする」とはヤクショ(イジメのプロ)の近道反応。そして1995年の宗教法人法「改正」然り、管理・統制といったものは一見どうでもよさそうなところから推し進められていくものです。
公道は誰のもの?みんなのものです。間違ってもクルマ(来る魔)だけのものではありません!!
道路に於ける諸問題はクルマを減らすことでしか寛解出来ない、真理は1つだけですよ。
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