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2015年8月29日 (土)

戦後70年「静岡と戦争」展

遅くなってしまいました。
大日本帝国滅亡70周年ということで去る14日、夜勤明けで観に行ってきました

Minisd_688当方静岡市民ではありませんので何となく入った先が葵区役所と気付かず、駿府城天守閣再建キャンペーンこんなことにうつつを抜かしてるからハママツ県知事にバカにされるのダに付き合わされただけで帰りそうになるところで…会場はその隣の市役所、ちょっと古めかしい段差だらけの楼閣の奥でした。

内容は静岡平和資料センターの拡大版とでも言う可きもの。戦線拡大を煽り、また戦時体制へと自らを投じていった当時の市民生活と戦後の再建、おさらいと言ってイイ静岡空襲の記録と体験談の数々、旧駿府城に本拠を置いていた歩兵34連隊とその後(壊滅)、反戦を訴える有志の美術作品群、番外編と言えようがやっぱり忘れちゃいけない戦後南太平洋で繰り返された核実験破壊された現地生活とその今も及び第五福竜丸の被爆・焼津帰港から現在の保存に至るまで…当時者が生存ギリギリの年齢に達した昨今、如何にして次世代へ伝えるかに力点が置かれている「何を・どうやって」が両刃の剣になり得る、とは考え過ぎだろうか?のは、おそらく他所も同じではなかろうか、と。どこかの天井から吊るしていたらしくテグスが付いたまま、滑走路のジオラマで尻もちついちゃってる機首に錘が入っていない1/48 B-29には私もズッコケてしまいました。赤紙と戦死報告書を紹介するコーナーの一角には最近の対外侵略法制成立強行、ひいては大日本帝国復活へと暴走する政局を報じた週刊誌が数部。なぜか係り付けの方々、「なぜこのページが」とひそひそ話しながら安倍の大写しを下に隠してましたよ、ちょっとちょっと、今強調すべきはそこですってば!

Minisd_691Minisd_692「ヘェ~、コレが海を越えてったのもあったのねェ~」自身初対面となった風船爆弾「フ号」、弾体以外はほぼ全て原形。クシャクシャなのが紙製の気球、木箱は制御系、勿論全国レベルで市民が製造に駆り出された経緯も併せて。バラスト(錘)を吊るす紐を引っ掛けているフックに注目、カーテンのソレなんですねェ。展示のための模造でなければカーテンフックは昔も今も全く同じ、とちょっぴり感心してしまったり。ただ貴重なものだけに誰でも自由に触れるのはマズイんじゃ?と言いつつ私も触っちゃった普段どう保管しているかは知りませんが今後は検討を要するのでは。

本展も「何がさうさせたか」へのアプローチが非常にアマく、痛くなければ何してもいいのか?の疑問には答えてくれませんでした。「陛下をお守りするには第9条が必要だった(幣原喜重郎)」場内に大書きが貼り出されていた日本国憲法第9条は戦争を起こさないことを条件に天皇制を存続させる、裏を返せば自称・近代日本を狂わせた元凶こそが神道である、と断じたものなんですよ。遡ってGHQの神道指令、エンペラー・ヒロヒトの人間宣言は当時にあっては意味あるものでした、明治憲法下でしたから。しかし現憲法では前文で主権在民を謳い且つ「再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」、更に20条で信教の自由を保障し、宗教の国家管理を禁じています。解りますか?この関係。即ち「日本人一人々々が神道を捨てなければ日本に戦後は訪れない戦争協力の前科を持つ宗旨・宗派も当然含まれる、とは私の拡大解釈なんぞではない。間違った宗教・社会思想が如何に民衆を苦しめるかは立正安国論にあるとおり。残念なことに戦後泡沫の如く現れ、中には消えていったいわゆる新興宗教の数々、失礼な物言いだが『国家神道に代わるチカラの拠り所が欲しかった』突っ走っただけ、との謗りを免れないものも含まれよう」。ついでに書けば「求めない」と明言した国を除けば戦後日本はアジアへODAなりで補償に相当し得るかなりのことをしてきています授業で習った・メディアで報じられたことが本当であれば。それでも彼らは「過去の清算を」と叫んで止まない、それは邪教思想としての大日本帝国が真に消滅したわけではないことを世界がシビアに捉えている証左、と見做して差し支えありませんナチスは宗教ではないが、戦後ドイツがナチズムを捨てるべくどれ程の努力をしたか、氏子の多くは知らない。「原因そのものを取り除く」が東洋医学(リスクマネジメント)、そこに至る考え方を問うのが大人の対応というものでしょ同じ理由で同様の展覧会が市役所と目と鼻の先にある浅間神社で催されていたのは「ダメだ、考え直せ」なわけ。私は幼稚園の頃、憲法の憲の字は「害をなすものと、それを見つめる目と心からなる」と教わりました小学生向け漢字字典読んで覚えたのさッ、破憲への策謀渦巻く今こそ全ての日本人がその意味を噛み締める時ではないでしょうか。

21世紀を迎えたはいいが進む可き道を見失い背を向け、と書けばより的確だろうか、「もはやボケ同然」昭和の昔へ戻ろうとするだけの日本。私は昨今の倒錯、起こる可くして起こったとみております。単純に年齢(層)だけで輪切りには出来ませんが…今でも結構元気な80歳前後「アラエイ」と言えば今様?そのちょっと上の年齢層も一部含む、彼(女)等は不幸にも自らの人格形成と国家の自暴自棄→滅亡がシンクロした、「それが当たり前」とDNAに刻んだ世代。そして彼(女)等を育て、良しにつけ悪しきにつけコントロールしてきた世代は、そのほぼ全てが墓に下ってしまいました。ノーコンとなった彼(女)等はその衝動の赴くまま身内を、子孫を静かに、時に露骨に侵略し続けているのです肉親を殺された、飢えや病気に苦しんだ、疎開もした、戦火の中を逃げまどった体験を背負っているにもかかわらず、それらが「戦争はいけない」に結びついてはいない 、なぜそうなったかを理解出来ないどころか考えようともしない、そうとしか説明のしようが無い言動ばかりだ。せんだってNHKラジオで反戦を訴えていた森村誠一さんのような方も少なからずいらっしゃるが、突然変異レベルではなかろうか。私め、介護の仕事に携わって14年になりますが、お叱りは承知で書かせてもらえばアラエイの皆さん、会う人会う人クワセモノが多い。駆け引きに長け人の裏をかく、責任とらない、恫喝・言い逃れが巧妙…特に私が職場で関わる方は大脳新皮質の歯止めがかなり外れていらっしゃるのでたいへん解り易い。

子供は親の本音を見抜き、悪いところばかり真似をする天才、漸く全共闘+ポスト全共闘世代(安倍、或いは安倍を挟んだ前後+α)まで話がきました。「俺達にも戦争させろ」と喧しいのは親の教育が悪い、即ち戦争体験者の案外多くが大日本帝国復活の野望を捨てていないから、言い訳など出来ますまい。裏を返せば、些か曖昧な表現ですが戦後生まれの「こころ」が過去の亡霊(呪縛)から真に自立出来ていないということなのでしょうか?また「人が死んで可哀想」「痛い思いさせられたから戦争をす可きではない」伝え方は意外と成果が上がっていない、果たしてどこまで本意なのか?との疑いも禁じ得ません日露戦争よろしく、少しでも分のいいところで終わったりでもしたら皆何を言い出すか判ったものではない

イイカゲンで乱暴なだけだった20世紀はもう終わりました、というよりかの惰性を今こそ終わらせなくてはなりません!「未来をより良いものにするためには今をより良く生きるほかない」各々す可きことは解っている。日本に鉄槌を下したのは自然災害だけだった、と後世の嗤いものにならぬよう。

お盆イベントの喧騒とケーサツの蠢動に細心の注意を払いつつ、熱風吹きすさぶ静岡市街を後にしたのでした。

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2015年8月 8日 (土)

大切な人と共に笑顔で暮らす

去る7月30日、老健 星のしずく7月31日に(どうもBlogとは別に)公式サイトが開設されたそうだが、どんなに検索を重ねても引っ掛からない。何故だ?でうたれたオープンセミナー・第3回 介護基礎講座にお邪魔してきました。夜勤明けの髙口ゼミは4年ぶり顔を合わせるなり「(Blogで)書けよ」と言われてしまった。えェ、書きますとも

Minisd_687御題は「大切な人と共に笑顔で暮らす ~☆親の看取り方・子の老い方☆~」ターミナルケアを中心にお話を戴きました。介護保険制度の概要、「口から食べる」大切さ、身体拘束廃止への取り組み、「施設か・病院か」どこで看取るか揺れる家族の心とそこへの職員の関わり方、そして手短ながらこれが結論と言えよう、親を看取った子の生き(老い)方etc.参加者は利用者様ご家族が中心、外部向けとあって普段聞いている実務者向けとは角度が異なることから、自分の仕事を振り返る(己を相対化する)きっかけにもなりました。こういう話も時にはいいなァ。施設の日々の業務を紹介するNHK静岡の映像も、みんな仕事がてきぱきしてる!ヘボい私は「♪ずんずんずんずんおっちっこぉまぁされたっぜぇ~爆風スランプ『青春の役立たず』より」…当日は三好春樹さんも同席、一緒に喋るかと思いきやずっと後ろで静かに聴講されていましたよ。

その後希望者は館内の見学へ。三好さんはタブレット端末であちこち撮って回っていたようですが、次の予定があるのか?早々に星のしずくを後にしたみたい。なおココの2・3階は鶴舞乃城と同様、連結された2ユニットが1フロアを成し、更にもう1つの2ユニット=1フロアと連絡通路で繋げられていますが、その2フロア同士が何と鏡像を思わせる左右勝手違いになっています。更に職員は勤務日・時間帯で双方を入れ代わり立ち代わりするのだとか。自閉症にとっては拷問そのものですね、見当識がグチャグチャになること必至です。扉の開閉音もガラガラと大きく、その度に身体がキュッと緊張しました。

終講後部署へ戻った私に同僚が「なんだまだ居たのか!?」、いつものことですってば。

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2015年8月 7日 (金)

N.GKS 実践自分史記録選集

1ヶ月程前のこと、N.GKS(緑の協力隊・関西澤井隊変換したら「沢痛い」と出た。怪我で療養なさってたそうで)からの薄緑色の封筒が「あれッ、いつもよりデカくて厚くて重いゾ」…

Minisd_686開けて「おおォォォ~~ッ!」澤井代表からの暑中見舞いと共に、自伝と言う可きコンピレーション冊子が出てきました。正式名は「永遠の沙漠浪漫に夢拓く 自己満足 実践自分史記録選集 往く逝く両親・家族・恩師・先賢・友人達に感謝感謝」。前編はNPO日本沙漠緑化実践協会、そしてN.GKSの植林活動・代表の講演や各所への寄稿・メディアが紹介した模様etc.後編は代表の半生が綴られています何と転居・病歴まで、「人に歴史あり」とはまさにこのこと。

N.GKSの活動につきましては98k様のトコに詳しいのでそちらを参照いただくとしましょう、私ごときが講釈タレるなどおこがましい!手抜きともいうカラーページには98k様の雄姿もありましたよ。

澤井代表、そしてN.GKSの皆様、スッゴイ素晴らしい冊子を有難う御座いました!遅まきながらお礼に代えて。皆様の御健勝・御多幸と私のHNを冠したポプラでしたっけが海を越えた彼の地で森を成すのを願いつつ。

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