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2012年7月30日 (月)

青春アゲイン!#2(変質車 その10・SUZUKI AddressV125S)

「性格が走りに出るのでハンドルを握っていて気持ちが悪くなる。自転車のように走っていたのでは命がいくつあっても足りない(三浦恭資サイクルスポーツ誌インタビューより)」

Mini_sd_841此の度念願の移籍が叶いまして、隣町への通勤にとAT限定ながら自動二輪小免を取りました。行きつけの自転車屋がモーターサイクルも扱っているのでSEVENの相談「以前リアメカのプーリーを交換しようとしたら厚みが合いませんでしたよね、もし不具合があったらcannondaleから移植して下さい」等々の傍ら一緒に注文しちゃったのがまんま教習車。「クルマ乗らないの?」「もっと(排気量)大きいの取らないのか」とはよく言われますが、合法的に流れにのれればそれでOK、女とクルマは金食い虫目的は最小単位で果たすのが一般消費者の心得というものであります。きっぱりと!原付二種といえば80~90ccあたりを想像しておりましたが、自賠責が125ccまで一括りになったのに加えエンジンの4スト化で排気量のわりに馬力が出ない2段3速過給器とMW50パワーブースターを組み合わせりゃイイのよため中途半端な大きさを作るメリットが薄れたとかで、近頃50ccの上はいきなり125ccなのだそうです。

純粋にゲタとして乗りますので「もろオバチャン」ナックルガード一体型ウィンドシールド私の座高だとちょうど目の高さに上の縁がくる。ケッコウ鬱陶しいとスライドキャリア耐荷重3kgだとォ!?何も載らん!を付けて貰いました、もう若くありませんし。あとナンバープレートにヘンな火山あッ、対象地域外だったっけお姫様が付いておらずホッ。

私は始動でアクセルを煽るのが癖になっていましたが、今やスクーターのエンジンも燃費対策で直接燃料噴射になったのでセルスターター・ボタンを押すだけで然る可き制御をしてくれる、とのこと、時代は変わりましたねェボッシュは遠い昔からやってるが。走りはフツーにスクーターですが停まると重い。どうも50の感覚を身体(脊髄)が憶えているらしく、切り返しはまだヨタヨタです。まァせいぜい他人様の邪魔などせぬよう走ることにしますか。

50ccをカッ飛ばしていた15年前、今となってはあまり思い出したくない暗闘の日々でした。「ソレを青春と呼ぶのならもう要らない」…いやいやそこは私の性分故、同じ過ちを繰り返してしまうのでしょう。

「それでもやっぱり女はいないのか(髙口光子)」

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2012年7月20日 (金)

夏休みとJ.T.B.Show

Mini_sd_840ちょっと昔の話を…J.T.B.とはJapan Telescope & Binocularの略、かつてちょうどこの時季、日本望遠鏡工業会主催の天体望遠鏡・双眼鏡・関連機器の展示会があり、歳がバレますが学生の頃は本展を見てから帰省列車へ乗り込むのが恒例でした。

1992年のこと、私は本展の設営手伝いを仰せつかり、今度は出張で機械振興会館へ赴きました。するとそこにはコレデモカと言わんばかりに積み上げられたついたてが。

「何ですか、コレ?」
「実は…」

えぇ~ッと、もう時効ですよね?御存じのとおり会場から目と鼻の先に東京プリンスホテルがありますビルの外壁タイルは結像性能チェックに具合がイイのだが、前年そこへ望遠鏡だか双眼鏡だかを向けたところ期待「以上のもの」が見えてしまった!その近さ故ソレはすぐさまそちらからも判るところとなり、工業会に苦情が入り一悶着なったらしい…言っときますが私じゃありませんよッ。ついたてで窓際をビッチリ固められた場内は非常に暗く、暑苦しかったのが今も思い出されます。

翌年本展は浜松町へ移転、更に後フォトイメージング・エキスポ(現CP+)に統合され、その歴史に幕を閉じました。あの頃から既に某社からは「つきあいで出展し続けているが、もういい加減やめたい」との声があったようです。昔も今もマイナーなこの業界が自前で展示会をうつのは容易ならざること、今の「カメラついで」ぐらいがちょうどイイのかもしれませんね。

地元へ戻って早10年、すっかり忘れたつもりでいても梅雨明けの声を聞く頃になるとなんとなく気分が落ち着かなくなるのはDNAに刻まれているからでしょうか。

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2012年7月 9日 (月)

れ>組織の2・6・2

262と言ってもメッサーシュミットではありません、念のため?

先日eかいごナビ ニュースコラムで「界王さま」こと佐藤主任が2:6:2の法則について書いていらっしゃいました一昨年の髙口ゼミでは「リーダーは『どちらにでも傾きうる』中間の6割への関わり方が問われる」と、ので具体例を2つ程。

Mini_sd_838実は私、職場の行事で実験したことがあります。3年前のこと、部署の共同作品のお題に私が選んだのは職員オリジナル・ケータイストラップ(キーホルダー)。タグの自画像だけ同僚に書いてもらい、後は画像処理・組立・設置まで私1人でやりました。当時私がいた部署は総勢24人、顔と名前が出るとあって随分シブられました己を客観視することに慣れていないから?世は資本主義社会、病院職員だって商品なのよッ。誤解なきようがそれでも面白おかしく描いてくれたのが5人≒20.8%、結局最後まで描かなかったのが5人うち1人は他部署からの応援スタッフと微妙な立場で、もとより多忙を極めていたため敢えて声はかけなかった(正直期待してなかった)。もう1人は提出こそしたがグズりにグズッた末他の同僚に描かせていたことが後に発覚

コワイくらいピッタリ。

翌年は千切り絵で地球ベースとなるハリボテは勿論私が1人で作った。深夜開けの夜に突貫作業でを、そして1人1つずつ簡単な人形を作ってもらいました。Mini_sd_839部署会議で副主任がワケワカラナイ事を言い出したのがもとで顔(頭)の素材に問題が発生したため一から作り直す破目にチョ~トホホ。前年の一件もありましたので「8割の8割、即ち6割4分集まれば御の字だろう」と思っていたところ16/24≒66.6%、ドンピシャ。不足を見越して地球の大きさを決めました役人と女学生が得意な「分母対策」ッてヤツねので全く問題無いかのように出来上がりました…フォッフォッフォ、私を誰だと思ってんのよ。スケープゴートを立てないと事が始まらない・ここ一番に脆い組織体質を再三モロに見せられるので毎年夏の盛りが過ぎ、行事の企画が立ち上がると憂鬱になったものです上司からはいつも「お前の頭に浮かんだものをそのまま形にしてくれればOKだ」と言ってもらってはいたが

もっとも私がこんな道楽にうつつを抜かしていられたのも彼(女)等が日々病棟のローテーションを守ってくれたからこそ、本体業務からすればこんなモノ刺身の端にもならないのでケチをつけるつもりなどありませんでした。また人のこころは常に揺れ動くもの、組織が人の集まりである以上そこに100%の同意など有り得ない、とは私の定見。

「自分には自分の見せ場がある、と思えばこそマンネリ仕事も餓鬼畜生レベルの軋轢もしのいでこれたのだ」、今はそう思うことにしています。

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