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2011年2月 1日 (火)

B29を迎撃せよ 幻の戦闘機・震電

98k様に触発され私も…昨年暮れ、神田で買ってきました。

Mini_sd_421「B29を迎撃せよ 幻の戦闘機・震電」は、福岡のNHK九州放送局1985年放映のドキュメンタリー番組をソフト化したものです。その近未来的フォルムで今日もなおヒコーキマニアの間では名高い局地戦闘機「震電」開発秘史及びプロジェクトの中心人物だった鶴野氏へのインタビューを軸にWWⅡ敗戦前後の地元を追う内容で、疎開先での泊り込みの模様など人々の息遣いも伝わってきます。氏の「40年も経ったら怨讐もどこかへ消えてしまった、ハッハッハ」と語る様はイナカの法事か庚申か!?といった風情^^;ではありますが、人々にとって戦争が熱病に魘されているかのようのものではなかったかと思わせるものがあります。想像するにあの感覚、いわゆる「元・小国民」イマドキの60・70歳代とは微妙に異なるものではないでしょうか?あとドウデモエェことですが番組に登場する本機スケールモデルたぶんハセガワ1/48は脚が曲がって付いており、オマケに機首に重りを入れなかったらしく尻もちをついたままだったのがちょっと笑えます。

「通常の飛行機の後部胴体はただの空洞になっているが、あれはどうしてもそうせざるを得ないもの」「他社は現用機で手一杯だった(本編より・要旨)」…震電があのカタチになったのは高性能化もさることながら生産性≒戦略物資節減が重大なテーマだったからではないかと思います。通常の空力配置・エアライン型の尾翼は単にバランスをとるためのものであるのに対し、先尾翼(カナード)は自身で揚力を発生できることから主翼、ひいては機体を小さく作れますさほどでもなかったが。当然エンジンが同じでもプロペラ効率向上これまたさほどでもなかったがと相まって高速化が可能♪ときますので、新規のエンジン開発が思うに任せなかったと言いつつも本機には最新鋭、つまりロクな運用実績の無かった三菱・ハ43が搭載された当時の日本にとって極めて魅力的だったと言えましょう九州飛行機でうまくいけば他社でも、との目論見が軍にあったかは想像でしかない。更に前脚は景雲(空技廠)、主脚は彩雲(中島)のソレをそれぞれ流用していましたので九州飛行機としては自前のラインを設けずに済むのも大きなメリットでした…機体後端でプロペラを回すのには幾多の技術的困難が横たわってはいましたが。

ポツダム宣言受諾発表を受け軍は保有機爆砕を指示しましたが本機はどうやら解体処分、バラバラにしただけだったのは初めて知りました。アメリカは性能検証のため再度組立てさせたそうで、今日流布している本機の写真はいずれもその時のものみたいですキャノピーにガラスがはまっていない・垂直尾翼が凹んでいる等々、試験飛行当時の状態ではない

フツーにNHKの番組ながら設計図面の一部や試験飛行の記録映画といった貴重な資料も登場、ファン必見です。

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コメント

1985年に、こんな番組が放映されたなんて全く知りませんでした。
NHKのDVDになってるんですねえ・・・
後部に動力部を持ってくれば、大型化しなくとも、前部に思い切り武装できるとゆー発想だったと思いますが、ジェット化の話もあったような記憶がかすかに残っており、昔から気になってました。
この番組ではジェット化については触れられてましたでしょうか?

投稿: 98k | 2011年2月 3日 (木) 00:18

ご無沙汰しております。

>震電
航空ファンの方々が 震電に夢を馳せるお気持ちは理解しておりますが、終戦末期に無理強いしたジリ貧飛行機の一つでもあります。
世界的に見ても実用化されて成功したと呼べるエンテ式戦闘機は サーブ21しかありませんし。

当時、基礎工業力の劣っていたこの国が外国の真似をして特異な分野だけが一流の諸外国の兵器と何とか競えるレベルになった、そんな一番の例が一部の航空機開発でもあります。

人間には固定観念という厄介なものがありますので 突拍子もないカタチをした飛行機は逆に量産し辛くなるという発想もあります。
エンテ式が優れているのであれば 現在でも広く採用されて生産機が普及しているはずです。
ですが、それはない。
エンジンは機体の前にあって尾翼は主翼よりも後ろにあるのが飛行機のカタチ、という一般的な概念が異型の飛行機を必要としなくしていたりもします。
全翼機が一般化しないように。

何につけても油槽船が敵潜水艦の攻撃で次々と撃沈されて本土では航空ガソリンすら満足に無い状況下で新型戦闘機など飛ばす余力もなかったのですから。
ジュラルミンの原材料のボーキサイトでさえ輸送船ごと海の藻屑と消えいていたのですから。

戦争中に軍のグライダーを開発していた知人から聞いた話で、戦争も後半になると木材くらいしかまともに材料がないので、エンジンがいらない木製グライダーくらいしかまともに作れなかった、だそうです。
震電にしても烈風にしてもジリ貧飛行機です。

投稿: 飛鳥 | 2011年2月 3日 (木) 22:50

98k様、ド~モです。
如何なる漫画家・アニメーターが独自の解釈を持ち込もうとも、先尾翼+推進式を描かせれば皆「震電」になってしまう…当時は勿論のこと今日においてもその造形的完成度はほぼパーフェクトと言ってイイでしょう。

>後部に動力部
牽引&推進方式の旧独Do335もオーバーヒートに手こずったようです。そして延長軸~プロペラが振動を起こさないようバランスをきちんととるのは非常に難しいのだとか。

>前部に思い切り武装できる
ハイ、機軸中心(付近)に束ねることで慣性モーメントを極小化≒機動性を改善でき、それでいてプロペラ同調装置が要らなくなります。大口径砲は米軍機の防御が固いのと、何より「負けが込んでいる」ッてこと?

>ジェット化
触れられていませんでした。
考えはあったらしいのですが当時の日本では到底実現不可能だったことでしょう。御存知の通りタービンは高度な冶金技術が求められます。かのB-29用ターボチャージャーでも設計寿命は短く、こと初期は火災が多発したそうですから。

ジェット化つながりで…空技廠「景雲」の顛末がエアワールド増刊J&Pで概説されていました。数十時間ももてば御の字!のジェットエンジンを胴体内に収めるだけでもケッコウ以上に冒険だった時代のこと、いくら震電がソレっぽい形をしているにしても「簡単に言うなよ」なんでしょうねェ。

投稿: alaris540 | 2011年2月 4日 (金) 03:47

飛鳥様、遅くなってゴメンナサイ。
98k様へのレスを考えているうちに寝てしまい、そちらは出勤直前にカキコ、それからなかなかノートPCの前に戻ってこれませんでした。

>サーブ21だけ
ルータンのビーチクラフト・スターシップも全機回収の憂き目に遭いましたものね。
当時既にエアライン型で700km/hオーバーを実現しつつあった中、理論はともかく「敢えてそこまでは必要なかった」部類に入ると思います。気になっていたのがカナード式は重心移動の許容量が狭いこと。燃料は基本重心上とその近辺にしか積めませんのでコレで燃費の悪いジェットときたら…?震電がインターセプターとして開発されたのは戦局を鑑みれば当然のことですが、よしんば一定の成果を上げた、眼前のB-29を追い払ったところでそれ以上のことは出来ない、戦術的発展性に欠けることを意味するのではないでしょうか。

>ジリ貧飛行機・次々と撃沈
そうです、そこなんです。
工数低減・代替素材がドーノ、ときたところで雪崩を打って迫り来る米軍機に抗えるわけがない。もっと言えばアメリカを敵に回したこと自体、「戦争の意味が解っていなかった(渓由葵夫)」との謗りは免れません、でしょ。前レスでも書いたエアワールド増刊J&Pには「日中戦争勃発時には真鍮・ニッケルの使用制限が始まっていた」とあり、「よくそれで飛行機作ってたな」…潜水艦の通商破壊がもたらす恐怖は御指摘通りイマドキの核ミサイルどころの騒ぎではありません。

「加工貿易国家である日本の国防とは原材料供給国・製品納入国との健全な商取引関係の維持・発展につきる」これしかありません。兵糧攻めに遭えば1発でアウト!は当時も今も同じこと、日本は絶対に対外戦争を起こせない国なのです。いまだ「周辺諸国との問題をチカラで片付けろ」と大言壮語をカマす輩は本当に自信の足下が見えているのでしょうか?

レアメタルの塊である電子機器1つも簡単に捨ててはいけないばかりでなく、そこから1歩進んでレアメタルに頼らずに済むハイテクってどんなものだろう?と思う昨今です。

投稿: alaris540 | 2011年2月 6日 (日) 10:46

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