トリノ・エジプト展
テメェで言うのも何ですが「門外不出」の言葉に私はノセられやすい。
昨日、静岡県立美術館で開催中の「トリノ・エジプト展」へ遅まきながら行ってきました。夏休み期間の土曜日とあって混雑が予想されたため「朝一で入場するのダ」…の決意も空しく見事に寝坊、自転車で現地入りしたのは昼過ぎのことでした。入場者は引っ切り無しでしたが行列を作るほどではなく一安心。それではコナミ「王家の谷」BGMを脳内再生しつつ突入~。
「所蔵」品を貸し出したトリノ・エジプト博物館としてはたぶんフランスから買い取ったつもりでいるのでしょうが、元を糺せばエジプトから強奪してきた関西では「がめた」と言うそうなもの、本展の協賛団体一覧に同館以外エジプトのエの字もないのが何よりの証拠。とはいえ日本では到底原形をとどめることがないであろう超歴史的遺産が海を越え近場で見られるのはのは一生に一度あるか無いか、ですのでその場では忘れたことにして…墳墓や棺、副葬品1つ取っても社会的地位が高い者ほど大きさ・硬さ=力の不変性にこだわる現実には有り得ない、どんな力もいずれは他の力によって覆される。だから、こそ?こと、信仰(観)に流行り廃りがあったことは大変興味を惹かれました。
さて、本題はここから。
布オムツ、あるいはそのカバーの痕が付いたお尻のことを私は「縄文式土器」と呼んでおりますが、中にはおよそ縄目とは言い難い「図像」も。以前同僚からも「何だっけ、あのエジプトの…」の声はあったが本展でやっとその謎が解けました、「ヒエログリフだッ!」。以後展示品に刻まれた文字という文字が「これは布オムツカバー、あっちはリハパン…♪」と私は完全に脱線したまま会場を出てきてしまったのでありました。ルーツは古代エジプトだったのね、勉強になりました!絶対違う
当院の患者様のソレはすぐさま解読出来ます、「いつまでもこんな暑苦しいモノ使ってんじゃねェ!!」。
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コメント
そうでしたか・・・
ヒエログリフでしたか・・・
ま、西夏文字でなくてよかったです。
業務用食品スーパーで買った「麦蔵紀行」を飲みつつ、地デジのトゥーム・レイダーを見てる途中で寝てしまい、さっき起きたばかりの98kでし。
インディ・ジョーンズなら寝ないんですが・・・
投稿: 98k | 2010年8月 9日 (月) 00:37
昨夜お返事を考えている途中で寝てしまい、さっき起きたばかりのalaris540です。
>西夏文字でなくて
よかった、のでしょうか…。
>インディ・ジョーンズ
おつまみはやはりおサルの頭をカパッと開けて、ですか!?
投稿: alaris540 | 2010年8月 9日 (月) 10:56
>元を糺せばエジプトから強奪してきた
その元を正せば強奪した人力や金銭価値の有る物が土台になって出来た物で、ちょっと考えてしまいます。ローマやオスマントルコもそうですし。最近話題の韓国のアレも元々は写本であり原本はすでに紛失しているし(フランスが持って行ったんでしたっけ?)、国璽すら紛失してまう国にあったら歴史的に価値がある物でも後生には伝えられなかったのは事実。日本の浮世絵も海外にある物は当時の日本人が価値を見いだせなかった包み紙が外人には価値があって残っていたりもするので、気が変わったんで、の所有権問題は難しいと思います。
投稿: 通りすがり | 2010年8月11日 (水) 10:34
通りすがり様、ド~モです。
ご指摘のとおりだと思います。
本展でも王朝末期には墳墓の盗掘が横行していた旨が紹介されていました。
そこにあるものをどう扱うか、所有・保護するだけの価値があるかは人の「感じ方」の問題ではないかと思います。また人の心は移ろいやすいもの、ナポレオン軍がかっさらって行ったのを当時のエジプトの人々がどう思ったか?外野からではわかりません。海を渡ったからきちんと保存されている、とは結果論???親記事中・協賛団体云々の一節は少々皮肉を込めたつもりです。
>浮世絵
外国との交易が始まった江戸時代末期には木版による多色刷りが一般化しており、「フツーに」そこにあるものになっていたように想像します。それらを包装紙に使ったのは「見いだせなかった」とはちょっと別のハナシかもしれません。
投稿: alaris540 | 2010年8月11日 (水) 13:06