痴呆性(認知)老人のケア
インフィック・主催「eかいごナビ スマイルセミナー2009・三好編」3回シリーズ、終了~♪いつもの笑い (^▽^) のなかにも新鮮なものを感じた3日間でした。
初日・2月1日は三好春樹氏の自己紹介に続いて医学とは別の、現象に見る認知症の3分類及びそれぞれへの関わり方、長谷川式スケールの活用法等々、認知症についての概説。
2日目・2月22日は問題行動のアセスメントと対応法。お年寄りが問題行動を通じて訴えようとしているもの、現在の生活のどこでトラぶっているのか、介護職だからできる生活学的アプローチ画像はこのときのもの、「後から獲得したものから先に手放していく」成長→老化への基本的理解など。
千秋楽・3月22日は痴呆ケアの7原則、惚けさせない、進行させないための具体的生活作り・人間関係作りについて。それに関連して施設・在宅が抱える問題点と改善の方向性、制度に見る社会・行政の老人福祉に対する根本的誤謬、小規模施設の構造的・人間関係的限界も。
…と、まさに三好ゼミの王道と言うべき内容でした。詳細は当日のテキストでもあった氏の著書「痴呆論」「認知症論集」に詳しいのでそちらを参照されたし。ただ直接話を聞いてからのほうが活字を読む際理解を深めやすいので、まずセミナーへ脚を運ばれることをオススメします。
人との関わり合いはもともと私にとって最も苦手な分野で、国家試験に合格したからといって自分に何かが出来るようになったという実感はほとんどないのが正直なところです。そのうえ布オムツの着用徹底紙オムツ・リハパン使用量の多い部署は病院全体から袋叩きに遭うのダ、機械浴比率の大幅増、高くなるベッドに4点柵、食事介助をしたことのない栄養士・薬剤師のNST(栄養ケアマネジメントチーム)等々、当院では時代への逆行、医療の生活放棄・介護放棄が着実に進行しております。この仕事を初めて8年間、「新しい介護」の世界に触れつつそんな医療の片棒を担いできたのはやはり旧体制のほうが居心地がイイから、一人ひとりに向き合うことなく雑用こなしてるだけの自分に安閑としているからなのでしょうか…あッ、ゴメンナサイ!モノが飛んでくるゥ!!「行き詰まったら原点に返れ、『こんな私ですが、何かお手伝いできますか?(髙口ゼミより)』からまた始めようじゃないか」と、土砂降りの峠でペダルを漕ぎつつぼんやり考えたのでした。
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コメント
アルツハイマーって診断されると、長くても10年とかで寿命が尽きてしまうのが主だった例らしく、
また、徘徊や奇声、盗られとかの妄想などは、原因が生活の中にあって、生活に問題があるとそのシグナルとして問題行動なんてのが起こり易いと考えることも出来る。
とか聞いたことがありますm(_ _)m
私の祖父は、身内を褒めるのも何ですが、ホント、スーパーじじいだったように思うんですね。
体力もあったし、頭も良かったし、器用だったし、なによりも努力家だった。
炊事洗濯から日曜大工から規模は小さいですが畑から、子供のオモチャから靴まで作ったり、
教育も受けてなくてまったく読めなかったアルファベットも独学で覚えたのだそうです。
そんなじーさまでしたが、
痴呆と診断されたのかどうか定かではないながら、
だんだんボーっする時間が多くなり、
いつからかつじつまの合わない昔話しかしなくなり、
やたらと食い意地が出てきて、
犬を散歩に連れ出せば家に帰れなくなり、みたいなことが度々起こり、
やがて体も弱り、
最期は病院で亡くなりました。
たぶん、
どんな人も、優れていようがダメ人間だろうが、怪我や病気を逃れても、やがて老いて、そして死ぬ。
日本の場合、その多くは、きっと病院で死ぬんだと思うんですね。
だから、
>>『こんな私ですが、何かお手伝いできますか?(高口ゼミより)』
みたいに(言葉通りだけでなく、広い意味で)思ってくれる、そういう医療関係の方々に、数にも精神的にも余裕を持ってお世話願えるような世の中が良いなぁ。
とか、私は思いますm(_ _)m
投稿: 川端 | 2009年3月25日 (水) 15:28
高齢者介護(…に、まずは限定します)自体、まだまだ課題が山積みであり、1つ1つ手探りのトライで地道に前進して行かなければ成りません。その道程は沢山の時間も必要でしょう。
今回は話し出したら長く成りますし省きます。人様のブログですしね。
ただ単純に1つだけ伺います。
ソチラのHPでは布オムツを使用されているんですか?
投稿: CZ75HRT | 2009年3月25日 (水) 21:02
川端様、貴重なお話を有難う御座います。御祖父様の「生ききった」さまが文面から伝わってきます。
「骨折するほど、惚けるほど長生きができたのだ(鳥海房江・要旨)」…人間の大脳新皮質が現在の形になるのに30億年もの時間がかかりました。人の寿命がフツーに(という表現もヘンだが)のびだしたのは歴史上ごく最近のこと、「肉体の長寿に脳がついてこれる筈がない」とはよく思うところですが…ただし「この世に生を得たものは全て生老病死から逃れられない」と「よりよく生きようとする」は決して相反するものではありません。
治世産業、こと産業革命以降のソレは子供や年寄り、ひいては「人がひとであること」に背を向けることで発展してきた歴史があります。即ち「子供か年寄りか、学校か施設か病院か」自体がどうこうではなく、生産効率を妨げるものを如何にして隔離するかが眼目。21世紀を迎え、その狂気なまでの利潤追求・産業依存は見直されていくことでしょうが、更にその方向へ突き進むのが医療と介護の世界。「今からそれかよ」と辟易しつつも現場に関わる1人としては「何か出来ることがありましたら」を発せずにはおれません。
>1つ1つ手探りのトライ
CZ75HRT様の御指摘どおり、100人いれば100の人生・100通りの援助形態が存在する、ということで、飽くまで医療は手段の1つに過ぎないと考えます。
>布オムツ
どうも保険に関係なく「実費」が請求できるところから始まったようです。素材の違いでこの扱いの差は何だ?私は他の病院・施設事情を知りませんのでなんとも言えませんが、このテの「規則の裏読み」はあちこちで行われているのではないでしょうか。
投稿: alaris540 | 2009年3月26日 (木) 12:47
この10年…私の知る限り布オムツを使用している施設はコチラの地域では1つも有りませんので興味本位で聞きました。そう言えば駆け出しの頃に有った、布製か紙製かの論争が懐かしいです。
投稿: CZ75HRT | 2009年3月27日 (金) 22:32